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東京家庭裁判所 昭和50年(家イ)208号 審判

申立人

山花秀(仮名)

昭和四六年一〇月二三日生

右法定代理人親権者

川菜咲子(仮名)

昭和七年三月三〇日生

相手方

山花秀男(仮名)

大正一五年六月一〇日生

主文

相手方と申立人との間に親子関係が存在しないことを確認する。

理由

調停委員会の調停において当事者間に主文同旨の合意が成立し、その原因の存在について争いがない。

関係戸籍謄本、昭和四六年一〇月一二日付相手方と川菜実間の示談書、申立人の母川菜咲子、相手方および参考人川菜実各審問の結果を総合すると、以下の事実が認められる。

申立人の母咲子と相手方とは昭和二九年一一月結婚式を挙げ、東京都立川市において同居、昭和三〇年五月相手方の転職により北九州市に転居、その後北海道○○市の咲子の実家の近くに移り、更に××市、○○市と転居し、この間夫婦の間にいろいろの葛藤があつたが、××市に居住していた昭和四〇年一二月九日婚姻の届出をした。昭和四五年春ころから咲子は○○市内の某証券会社に勤めるようになつたところ、そのころから相手方の母が同居するようになり、夫婦間の不和が昂じて咲子は昭和四五年秋相手方のもとを出て○○市内のアパートに別居するに至つた。そして咲子は同会社の上司である川菜実(昭和一一年二月一六日生)と親しくなり、昭和四六年一月ころから肉体上の関係を生じ、川菜の社宅で半ば同棲する形となつたが、なお時に相手方のもとへ身の廻りの品を取りに行つたり、相手方が咲子のアパートを訪ねたりして、夫婦の関係はなお維持された。

咲子は昭和四六年一〇月二三日前記北海道△△市の実家の近くの医院で申立人を出産した。これよりさき、相手方は咲子と川菜との関係を察知して激昂し、川菜の勤務先に電話したり出向いて行つてなじつたりしたが、双方が弁護士に依頼して話合いをした結果、同年一〇月一二日、川菜が相手方に対し慰藉料として九〇万円を支払い、出生子の監護養育に当つては咲子と川菜との協議によつてその処遇を決めることとし、相手方はこれについて何ら異議を申し立てないこととする旨の合意が成立した。

かくて申立人の出生後、相手方は父として申立人に自分の名の一字をとつて秀と命名のうえ、昭和四六年一一月二日○○市長に出生届出をなし、そのころ就職のため静岡市に転居した。その後咲子は相手方を訪ね離婚を申し入れ、相手方もこれに応じ、両者は昭和四七年五月一五日申立人の親権者を母である咲子と定めて協議離婚した。

咲子と川菜実とは昭和四八年九月ころから申立人の肩書住所で申立人を交えて同居し、昭和四九年一二月六日婚姻届出をした。川菜は申立人を認知したうえ、嫡出子として入籍する所存である。

しかして鑑定人上野正吉の鑑定の結果によれば、血液型の検査における申立人に対する父権肯定率は相手方99.34パーセント、川菜実99.33パーセントであり、血液型検査の結果ではこの両名のいずれが申立人の父であるか決定できないこと、耳垢型およびPTC咲覚型の検査においては、耳垢型での父権肯定率が相手方0.3431、川菜実0.5222であつて、相手方がやや劣り、PTC味覚型では両者に差のないこと、皮膚紋理の検査では著しい差はないが川菜実のほうが相手方より父権存在を推定すべきデータにおいて勝つていること、顔貌諸特徴の検査においては川菜実のほうが相手方よりも顕著に父性推定を肯認しうること、を前提として検査成績の総括と考按において申立人の父は相手方でなく川菜実であると推定すべきものであることが認められる。

申立人は相手方と咲子との婚姻中に懐胎され出生したものであり、その懐胎期間中も両者の往来があつたのであるから、本件は民法七七二条の推定が排除される場合に当らない。したがつて申立人は夫である相手方の子と推定される。夫の子としての法律上の推定は、夫の嫡出否認の訴によつてのみ破られる。訴を提起しうるものは原則として夫に限り、否認の訴は夫が子の出生を知つた時から一年以内に提起されなければならない。

元来、嫡出性の推定を設けて一定の厳格な要件のもとにだけこれを破りうるものとするのは、家庭の平和のためである。夫が子の嫡出でないことを知らない場合でも、出訴期間を子の出生を知つたときから一年以内と定めた所以は父子関係の早期安定を図るにある。

しかし、以上は、家庭が破壊されずに維持されている場合を前提としている。子の出生前、あるいは夫が子の出生を知つた時から一年以内に家庭が破壊した場合には、否認の訴の出訴期間について厳格な要件を定める意義は失われる。特に夫が法律の不知から、または妻またはその子の父と目される他男を困惑させる目的で、否認の訴を提起せず、出訴期間を徒過するときは、子から真実の父を尋ねる機会を奪うことになり、子の幸福に反することが明らかである。そして結局前記の出訴期間内に父母が離婚に立ち至り、子の母が子の父と目される他男と婚姻するに至つた場合には、戸籍上の父からの嫡出否認の訴を待つことなく、母、子もしくは利害関係人から戸籍上の父と子との親子関係不存在確認の訴を提起することが許されるもの解すべきである。

本件についてこれを見るに、咲子と相手方とは約一五年の内縁および夫婦関係継続中に子を得るに至らず、昭和四六年に至つてようやく咲子が懐妊するに至つたが、相手方は咲子と川菜との関係を察知し、川菜に対する怒りと咲子に対する不信のため、子の出生前の同年一〇月一二日付の示談により、生れてくる子の処遇を咲子と川菜に一任して自らは静岡市に去り、翌昭和四七年五月には咲子の申入れによる協議離婚に応じたのである。もつとも相手方は生れてきた申立人に自分の名の字をとつて秀と命名し、父として出生届出をしているが、出生届出自体は戸籍法上の義務であるから、これによつてその嫡出であることを承認したことにはならないとしても、秀の名を選んだ相手方の心境には複雑なものが窺われる。前記示談は双方とも弁護士を代理人として行つたものであるが、代理人たる弁護士としては相手方が嫡出否認の訴を提起するよう指導すべきであつた(右「示談書」の三には「子の戸籍につき甲―山花秀男―から嫡出否認の訴、又乙―川菜実―から父子不存在の訴を提起することについて、夫々関与しない。」とあるが、その趣旨は明らかでない。)。

しかしながら前段認定のとおり、申立人の父は相手方でなく、母咲子の現在の夫川菜実であると認められるから、民法七七二条の推定は破られたものである。よつて当裁判所は家事審判法二三条に基づき調停委員会を構成する調停委員会梅田覧蔵、同中島田の意見を聴き、前記当事者間の合意を正当と認め、主文のとおり当該合意に相当する審判をする。

(田中恒朗)

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